いつも人の意見にうなずくばかりで、人の顔色を伺うことが癖になっている男性は、なんだか自信なさ気で、人の顔色を伺う姿を見ていると、可哀想な気にさえなってしまいます。
今回は、顔色を伺う男性の心理についてご紹介していきます。
目次
顔色を伺う男性の心理
波風を立てたくない
人の顔色伺って行動する男性は、基本的に平和主義者であることが多いでしょう。
揉め事がとにかく苦手、波風を立てたくないという思いが強く、周囲に合わせるようにして、出来るだけ目立たないようにひっそりとして居たいのです。
自分の意見をハッキリ主張すれば、反対の意見の人からバッシングを受けたり、周囲から注目されてしまいます。
今まで築き上げてきた穏やかな生活を維持するためにも、特に権力を持った人の顔色はよく伺って慎重な行動を取ります。
良く言えば、世渡り上手で、上の立場の人からも下の立場の人からも好かれる良いポジションを常にキープしているでしょう。
人に嫌われるのが怖い
過度に人の顔色を伺う男性は、でしゃばって人に嫌われることを恐れているのです。
過去に自分の意見をストレートに伝えて嫌われてしまった経験がトラウマにでもなっているのでしょう。
上手く相手に自分の気持ちを伝えるのは非常に難しく、誤解を受けて嫌われてしまうよりかは、自分の気持ちを隠して、人に合わせてしまった方が楽に生きられます。
人に嫌われたくない一心で相手の顔色を伺っているうちに、それが習慣となり、いつでも人の顔色を伺うようになってしまっているのです。
怒られたくない
誰だって人に怒られたくないとは思いますが、繊細でナイーブな男性は特に、人に怒られる事を怖がり顔色を伺いながら生活しています。
もしかしたら、子供の頃から親の顔色を伺って生きてきたのではないでしょうか。
子供の頃に親から怒られた経験が、大人になった今でも鮮明に残っていて、上司や同僚、友達や彼女など、自分を取り巻く全ての人の顔色を伺わずには居られないのです。
また、怒られることは恥ずかしい事だとインプットされているのでしょう。
自分の意思を貫く達成感よりも、人の顔色を伺っておとなしくしていれば、怒られて恥をかくことも無いので、顔色を伺って、人の意見に合わせている方が安心できるのです。
自分に自信がない
人の顔色伺う男は、根本的に自分に自信がないのでしょう。
こうしたい、ああしたいという意思やや願望はあっても、自分に自信がないと、堂々と口に出来ません。
「もしも、こう思っているのが自分だけだったら…。」
「自分の気持ちを素直に変えて、否定されたくない…。」
など、何をするにも、何を決めるにもマイナスのイメージがつきまとい、結局本当の自分の気持ちを隠したまま、人の顔色を伺ってやり過ごすのです。
男らしく堂々とするには、自分自身を愛し、信じることが大切です。
良い人に見られたい
周囲に良いイメージを持たれたいと思っている八方美人の男性は、無意識にも日常的に人の顔色を伺って過ごしているでしょう。
良い人を演じるには、他人が求めるものを見極め、それを演じ切らなくてはいけません。
人の顔色を伺わなくては、他人の求める良い人になれないのです。
協調性がある事は高く評価出来ますが、ときには自分の意見をハッキリ伝えないと、イイ人として人から利用されて、結局自分は損をしてしまいます。
普段は人の顔色を伺い、良い人を演じるのは結構ですが、男として、ここぞという時にはハッキリと主張出来る能力を身につけておきたいものです。
傷つきたくない
いまどきの男性は女性よりも心が繊細でとてもナイーブな人が多いようです。
恋愛の仕方にもデリケートさが顕著に表れていて、デートの行き先やプランを決めるのにも、自分の考えだけでサクサク決めるのが難しいのです。
期待はずれなデートにしてしまって、彼女にケチをつけられたり、退屈そうな顔をされてしまったら、立ち直れないくらいに傷つき、落ち込んでしまうでしょう。
そんなデリケートな男性は、彼女との口喧嘩にも参戦しようとはしません。
彼女の攻撃に傷つくのが怖くて、いつも彼女の顔色を伺ってひっそりとしているでしょう。
おそらく、会社でも、友達付き合いでも同じように顔色を伺って身を潜めるようにしているはずです。
面倒な事はしたくない
自分の意見をどんどん発信していく事は、非常に勇気がいることであり、パワーや労力が必要となります。
面倒くさがり屋な男性は、そんな労力を使いたくないので、いつでも人任せで事を済ませてしまいます。
1から自分で考えて、自分で行動するよりも、人の顔色を伺ってそれに従う方が断然楽が出来るのです。
特にこだわりもなければ、情熱も持てない冷めたところがあり、何をやっても達成感が得られないのですが、プラスになることをするよりも、マイナスになる事を出来るだけ少なくしたいというのが彼の価値観なのでしょう。
確かに、人の顔色を伺っていれば、得るものはありませんが、失うものも無いので、結果的にプラマイ0で、平穏に過ごすことが出来るのです。