「何でこんなに汚いやり方をするんだろう?」と感じてしまう、姑息な性格の男性が居ますよね。
彼らは、自分を守る為なら平気で他人を犠牲にする為、その言動には心底呆れてしまいます。
彼らのような男性が身近に居ると、多大なるストレスを抱える羽目になるでしょう。
そんな厄介者とも言える「姑息な性格の男」には、一体どのような特徴があるのでしょうか。
目次
姑息な男の特徴
影で手を引く
姑息な男性は、気に入らない相手に対して「直接文句を言う」という事をしません。
では、彼らはそんな時どのような対応を取るのかというと、「影で手を引く」という行動に出るのです。
例えば、相手の悪い噂を周囲に流したり、悪口を言って相手の評判を下げたりと、その行動はまさに「姑息」です。
そして、周囲を味方に付ける事で外堀を埋め、相手を孤立させようとします。
文句があるのなら直接相手に言えば良いものの、それを一切しようとしない為、非常に粘着質極まりない性格であると言えます。
平気で嘘をつく
そもそも姑息な男性は、常に「自分が一番可愛い」という心理を持ちながら生活しています。
自分の事が何よりも大事であるからこそ、日頃から自分勝手な態度で周囲を振り回しているのです。
そして、その自己愛の強さがあるからこそ、自分を守る為なら多少の嘘は厭いません。
彼らは「嘘を付く事は悪い事」という考えを一切持っていない為、嘘を付く事に対し悪びれる様子が無いのです。
その為、例え自分に非があった際でも素直に謝罪せず、言い訳や嘘を並べては自分の立場を守ろうとする事も多々あります。
そんな行動には、「姑息すぎる」「性格が悪い」と評価されてしまっても仕方がありません。
他人を蹴落とす
姑息な男性の自己愛の強さは、「自分の身を守る為なら他人を平気で蹴落とす」という性格にも繋がります。
彼らは基本的に自己中心的な性格である為、日頃から他人の事にはほとんど興味がありません。
彼らにとっては、他人は「どうでも良い存在」である為、いざとなった時に他人を蹴落とす事にも何の抵抗もありません。
その為、学校や職場などの競争社会では、自分の脅威となる相手は徹底的に引きずり降ろし、どんな手を使ってでも自分の立場を守ろうとするのです。
自分の為ならどんな手段も厭わない彼らは、周囲からすれば「絶対に関わりたくない存在」でしかありません。
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上司には媚びる
姑息な男性は、日頃から他人の事を見下し、自分の立場ばかりを優先させます。
その為、自分にメリットのある相手にこそ媚びを売るものの、それ以外の相手には驚くほど無愛想な態度を取ります。
そして、彼らの言う「自分にメリットのある相手」がどんな相手なのかと言うと、最も分かりやすい例が「上司」です。
彼らは、自分より目上の相手に対してのみ媚びを売ってはゴマをする為、その言動にはつい白い目を向けてしまいます。
どんな職場に行っても、このような「上司にだけは媚びる男性」が一人は存在しますよね。
計算高い
姑息な男性には、「計算高い」という特徴もあります。
彼らは日頃から「自分が優位な立場に立つ事」に強いこだわりがある為、その為にはどんな手も使おうとします。
その為、彼らの普段の言動は計算し尽くされたものであり、さらには嘘や誤魔化しによっても塗り固められています。
例えば、上司や目上の相手にだけは尻尾を振ったり、相手によって臨機応変に態度を変えたりと、その身の振り方にはもはや関心すら覚えるほどです。
彼らは、日頃から「自分の為に」という事ばかりを気にしている為、常に様々な計算をしながら自らの身を守っているのです。
そんな性格は素直さの欠片も無い為、もちろん周囲からは強い反感を買ってしまいます。
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常に損得勘定で動く
姑息な男性というのは、何をするにおいても、まず第一に「自分が得をするかどうか」を気にします。
そこで「何もメリットが無い」と感じれば、驚くほどあっさりと切り捨てるのです。
例えば、同僚に「仕事を手伝ってくれないか」と依頼を受けた際、姑息な男性は「それは俺に得はあるの?」と疑問を持つのです。
しかし、その相手が上司であった場合は手のひらを返し、「評価に繋がるから」と、いとも簡単に引き受けます。
彼らは基本的に「他人の事はどうでもいい」という捻くれた性格である為、彼らの頭に「仲間」「協力」などという言葉は無いようです。
自分の手は汚さない
姑息な男性にも様々なタイプが存在しますが、中でも厄介なのは「自分の手は汚さない」というタイプです。
このタイプの男性は、日常生活で気に入らない事があった際は、周囲の人間を利用して解決させようとします。
例えば、気に入らない相手に対して制裁を加えたい時、自分の手を使う事はありません。
そんな時は周囲の人間によって嫌がらせをさせるなどし、自分は遠巻きにその様子を眺めているのです。
そして、当の本人は「俺には関係無い」「俺は何もしていない」とシラを切り、無関係である事を貫き通します。
他人を不快にさせながらも高みの見物を貫く彼らには、苛立ちを覚えない人はほとんど居ないのではないでしょうか。
気に入らない相手を蹴落としながらも自らは手を汚さず、さらには何も悪びれる様子すらも無い彼らは、まさに「姑息」であると言えます。